2012年05月19日

予23 緑夜の金環食

(2012/05/14)
緑夜の金環食

我が1万4千年前の黒夏の祭典である。
これを、祭りに先立つ黒夏典礼という。
これを、我が御祖先という。

 金柑の実を食べ、黒督という、顔の飾りをし、
74琴のふくら段々という、74弦琴を、我輩が奏で、
この音(ね)に、あの大鳥が祝いの「くわーっ」という、
声(こわ)を出し、庭に囀る日という。
 竜亀のおおいという、大(おお)の山の傍の池辺という。
黒いコートという衣装を、その人が着、緑空の天を見る日という。

頭に冠を付け、やたという枝を持つ格好という。金色の歌世(うたよ)という。
この世の天という。これを愛でる御(おん)という。これを金(きん)という、花の世
の絵という。天当という、天当の緑国という。緑成す日々という。

 天の御費(おんひ)という、天を見る函という。函の世ともいう。
天に月が揃われる御鴇(おんとき)という。これを金秋(きんあき)という。
我が黒刻黒夏という。弥栄える(いやさかえる)御鴇という。

この世のヨメを見るやや、という。世の夜の栄う、こっとき、ともいう。
この氷魚(ひお)という、日の尾という。日の夕という。
日夕刻話という。我が全民の世をいやうひわ、という。
一等をいう。やさの山の宴という。緑宴の山という。

緑夜金夜という。金日(こんじつ)という。近日中に公開になる話しである。
我が黒夏の金柑食である。我が世の黒い幕が張られる緑幕のモスである。

緑夜の空食という。秋残りという、その人である。
秋空残輝という、金柑の口である。空く秋(とき)の残す輝きという。
金柑の焼きともいう。かが焼きである。

これを日が笑む鴇、という。
日鴇書である。その人のお書きと、御をつけて、音を添えて、自分を
我が儘という、その人という。音祖という、音素(おとそ)、屠蘇をエルという。
これを、我がアルコという。アルココという。全民となる、有個という。
蟻子の山の蟻子という。有る個々の全民の集う節という。金柑を
食す音ともいう。「キンカンククク」という、有意の山である。
ういとも読む、「うい」と答うる、山の蟻の影という。
影絵の蟻という。コートの格好のことをそういう、園である。

そのそのその、という歩りき、という。
我輩である。そのそのそのと、奏での琴添う歩みである。
日月の会いという。

そのその会いという。相会という。
爽快な出という。我が黒会の黒刻という。
黒刻の総会である。黒夏出の我輩である。
園会(ソノカイ)の演奏である。

黒立黒夏宴会である。
舞踊をともなう、黒魔踊団(くろまようだん)の団宴である。
これを、大団円という、我が黒夏である。
黒立交流園という、池辺の園という。
黒池流である。これを流儀という、龍の踊りである。
踊り龍を辰という。地浪池波振るう龍辰告夜(りゅうしんこくよ)である。

申告する我輩という。これを辰の告げという。黒夏の申告という。
国家が申告するのである。刻々申辰の御鴇(おほんとき)である。

鴇の秋(とき)の時の説きである。これを解という。
解会の会である。開会の解きを、会解する。
相会の爽快である。
我輩という、黒犬の持ちという。剣を餅という。
これを相持つ(そうもつ)大会(おおかい)である。

応対をする、海のひらえ、という。
おおかい(大海)という。
大江海(おうえうみ)という。
大航海という、空の目の日月である。

日月の近寄りである。
近月広報という、航法をする両目である。

両目の辰刻である。黒刻の解(げ)である。
下解(げかい)という。下界でもある。

posted by 若軍 at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説
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