2012年05月07日

第16話 夏祭り

(2012/05/07)
第16話 夏祭り

 夏、繁き日、その人は田中を歩んでいた。
ふと、我が家がおもい浮かんだ。

 その人は、自分を我が家に祭っている人である。

 その人は考えた。自分があって、万物がある。
自分があって、この世がある。これが、元である。
「御天のごそうきょう」という挨拶である。

 自分が自分を祭る。祭られた自分を「御私」という。
私に敬語を使う人という。「私がいらっしゃる」「御私が
いらっしゃる」という言葉使いになる。祭られている自分を
尊んでいう言葉である。この御私という、祭られた自分を祭る
自分を御天という。御天の自分という。この御天御私という。
これを、自分に添う日を、添う今日という。今日の日は、常に
自分にあることという。御天の御私ですという、その人の名乗り
である。これを、そうきようの会いという。そうきよう家というその人である。

自分を祭る話である。この夏の日に、祭った自分という。祭られた自分
でもある。これを祭々の緑夏という。緑の夏の斉戸である。この戸を開ければ
自分が出るという。自分の御自という。これを御字(ぎょじ)という。御名(ぎょめい)の
話である。その人の自分への礼儀である。自分をたっとび、大事にする人である。

「私がいらっしゃる」という、祭られた自分を言い、祭った自分を表わす。
これを、文法から「間違い」という。その人である。
この間違いは自分の間違いであるという、その人である。

その人の時折、口からでる言葉である。自分を祭った人という、
その人の表わしである。御天のごそうきょうと、挨拶をするその人である。

その人の考えである。哲学的な祭りという。認識の先立つ祭りである。
自分に敬語を使う人という。その人のことという。

これを、祖教(そうきよう)という、その人である。
間違いをする人である。

この間違いを正当ともいう人である。
これが「祖の人」という、その人である。
自分が祖になった人である。
祖という、自分の表わしという。
自分を祖という、その人である。
これを「そその人」という。
祖園の人のことの葉という。
その気の人という。
祖の木を探す人という。
そうきょうの人という。そうきょうの木、そうきようの気である。

哲学的な祭りをする人である。夏祭りの祖教(そうきょう)の人である。
生きているうちに祭られるという、その人である。

ポケットに、そうきようの意思という石を持つ癖がある。
石持ちのいかすみという身であるという。屁理屈と自分をいう
人である。「いかしてるやろう」と自分を「いかすみ」という。
霞のいいの論と、ごまかす人でもある。

夏祭りである日の会話という。
夏祭りの自分祭りの自祭である。
自分が祭った自分である。
夏の時分であった話である。

夏時分の懐かしみ、夏深くお辞儀する人という。
夏深い、懐かしくの夏である。
深夏の太陽時、太陽の微笑みと表現する人である。
深夏陽時の道を行く、口ずさむ新歌謡の足の音である。
「けっけくっく」と足踏み音の表現をする、こつ乙の足音である。

御音たけき、高らかな進歩(しんぷ)である。
祖教(そうきょう)御音(ぎょおん)こつ乙の歩みである。

祖の人のお宅である夏祭りの家祭りである。
家を祭る人でもある。

posted by 若軍 at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説
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