2012年03月24日

第十四話 日文嘉祥

(2012/03/24)
第十四話 日文嘉祥

 その人は歩む。夏を歩む人である。
丘を行くその人の歩みである。

 日照らす日、地受く地、日は差して
若きをたとう。朝、日はやわくも強き、
日いくを、我がいく日、初夏の日差しの園、
夏、来(き)、かしく、夏は、居(い)、夏かしく
ありてあり。夏は今、日は笑む。園、迎う
、丘に人はあり。若き夏、その夏、夏を
行く日と園、丘のひという。

 丘春おきて、春来たり、夏、はやりて、
夏来ず。夏寄りて、夏世あり。
夏は来りて、夏を世という。
夏木(なつ)という。これを夏子という。
夏木(なつき)の夏という。名月の秋の未である。

 夏に迎うる、はゆ、という。なつはゆゆめ、という。
夏の往来である。夏木という、名の月という。これを、
なめとこ、という。なのめのとこ、という。
なめを、なつめ、という。その人である。

 夏に目があるという。目の夏を好む人という。
これを、め、という。秋のめを取る、目夏という。
この言いを夏木という。目夏を、はや、という。
春、はゆ、はや、なつ、という。
春、はゆ、はや、目夏、という。
この、はゆ、という。これを子夏(こなつ)という。
園の夏の、丘言いである。

はやという、夏のかかりという。春のおわらともいう。
春角(しゅんかく)という。春の角(かど)という。
春のすみである。春済(しゅんさい)という、丘の言い
という。丘の言葉という。

 丘の春を富むを、らいふる、という。
弔いのとむ、である。らいふるの丘という。
これをくる、という。らいふるやみ、という。
丘を出ずるあわ、という。

 あわ山のらい、である。らい、というその人である。
春らい来る夏のからい、という。この山の裾という。
丘の山である。からいという、丘の山という。
これを、夏らう、という。らい、である。
 
 その人を、夏が、わ、という。わという夏の呼びという。
わかの夏という。わか夏という。若い夏である。
じゃっか夏という。これを、はや、という。初夏のことという。

 若い夏をいう人という。じゃっかの夏という。若夏である。
じゃっくの名である、はやのことという。じゃっかともいう。
若夏の若いおんなである。名という。つをつけた、人という。
夏という名前という。夏 子立(なつ こたつ)、しかりゅうという。
かし立ちである。かし山という、ふの山という。ふふ山せかるや、という。
その人の書きという。ふれる、じゃっか、という、その人の、はや、である。

はやと夏を呼ぶ人である。その人という。
おたるやや、という、人という。
わわらる人ともいう。

わわという。人という。
季節をわという。わを春という。
わわを夏という。わわわの秋。
わわわわあと冬をいう。
ふるふる、という冬をふという。
ふるという春という。
ふるふという夏という。
これを、あかす秋、という。
秋をおわら、という。
その人の話という。
おわらは秋という話という。

夏をわわふるふ、という。
わわふるふ、なよ夏という。
はくふる、はは夏という。
はく夏という。これを白という。
白い夏という。はっかという、しろなつという。
わわふるふである。

白い夏という人を、わという、我という。
これを、黒いという。黒夏(くろなつ)の
こっか、という。夏のことを、黒(くろ)という、
こくともいう。黒い夏の、ふるふわ、という。
わを取って、をという。自分のことという。
ふるふわ自(じ)という。自分の話という。

分をふるに返す、ふるふわ分という。
取ったぶんを返す人という。
これを、ふるふは文、と書く。
この分のことという。
黒い字のことという。字の黒夏である。

この地を行く人という。地夏の字書こうと、
字を書きながら、夏の地を行く人である。

わわふるふ夏の汗、ふるぶる額という。
汗をかく額という。夏額(なつがく)という、
かがくの額という。科学を考える頭という。

山歩きをいう。山は歩く人ですか、と問う人という。
山を歩く人ですという。山を行く夏ですという。
これを、山行夏(さんこうか)、という。質問を答えという。
山行夏(さんかこう)を山行き(さんゆき)という。
山行く夏であるという。わわふるふの意味であるという。
その人という。

これを答えという。夏の追う姿という。
夏もうず春という。「もうではる」という話という。
ではるの春を出た意という。ふるふわのや、という。
家を出た春のことという。夏を通る日のことという。
もうではるという、日である。夏の日差しのことという。
もうではるという、夏である。

わわふるはる、ともいう。「ふるはる」、これで、春の終わりと
夏の初めという。ふるはる。これを、らいふる、という。
らいふるで、来夏(らいか)である。「ふる」が「おわる」を
かける意味という。これで、夏のらいふるである。

今の言葉という。らいふるという、おわら夏、ともいう。
最初の意味の、おわらである。終わりともいう、おわらの意味である。
おわらということの意味という。最初と終わりである。
これを来角(らいかく)という。意味の由来である。
来角夏書き(らいかくなつがき)である。
その人の書きという。

「来来(らいらい)」という、「くく」という。
来来と歓迎をいう人という。
再来来(さいらいらい)という。
その人という。注の山という。
その人の注である。

夏の音という。夏を愛でるその人の書きという。
かぎり夏という。おわら夏とおわら夏の間という。
季節という。節という。これを区切る節という。
おわら夏を節夏(ふしなつ)という。せっか、という。
その人という。夏をふしなつともいう人である。
節(せつ)を区切りという。

節(せつ)を区切りという、竹という。ふしたけ、という。
節を踏む竹歩みという。石の泣く歩みという。
竹を見る歩む中、石を踏む足という。
足音を、石が泣く、という。その人である。
夏の音という泣き、である。

夏音(かおん)という、石泣きの靴の音である。
夏っ夏っ夏っ、という音という。
石泣きの音である。これを説明するそのひと 
という。説明という、歩みという。

節を明るく、日を見る夏の歩む日という。
その人の歩む丘の夏の日である。

夏っ夏、と照る日。下っ下、と照る日。
夏っ下、夏っ下の石泣夏音(せっきゅかおん)。
上空の夏がいう、下々夏(かかなつ)という。

音とも揃う人という。その人という。
歩む人という。音ぞえ歩む日の下という。
日を傘にする、日傘急(にっさんきゅう)の
急ぎ足という。遅れない急ぎである。
遅れないように日傘を持つ人という。
持たない日の傘である。
日傘の持ち持たず。
日に持つ傘の尊さ。

日に餅を供えた人である。
日傘の恩という。

音をなう、音である。
これを、書いた人という、その人である。
夏の日に思う文である。
日文嘉祥、日分佳祥(ニップンカショウ)という人いう。
私のある夏の日という意味という、その人である。
これを、夏下夏(かかなつ)というその人という。
日文夏祥、日分夏祥という意味という。

これこれこれ、ふふふ、ふるふ、らいらいふる
人という、その人である。

posted by 若軍 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説
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