2012年03月06日

予四 影の黒夏

(2012/03/06)
 予四 影の黒夏

 我輩の演説である。
思うに、黒夏には影がある。
我が黒夏は、この影の黒夏でもある。

 隣のミケ君は、この影を追いかけて、
案を得たという。影は絶対についてまわり、
常に自分とともにあるという、真理を発見
した。ランチ君に尋ねたところが、「影を
置いて、自分は歩めるか」という話である。

 我輩にこのことを話してきたのである。
我輩の脳運で、運ぶ話しという。影を運ぶ
という我輩の権能(健脳)で、これを影夏と
処する黒会運影法という運びになる。

 夏の影濃しという、
季節の御蔭であるということを論ずる前に、
我輩の献納ということについて、いささか述べたい。

我が黒夏は一党独裁である。これは、わが国の
立国の影夏を考えれば明らかである。

 我輩が、夏の影に、陰を献納したという。すると、
夏が立ち、一挙に黒夏になったのである。これを、
陰の運びという。我輩の献納である。実の夏には、
陰影が備わり、夏が実になったという、影夏である。

 これを、影と実との置きという。離れて持っていった
陰という。これを、はなつ実という。放実ともいう話である。

この陰の夏は、けいか、という話で、裁可した実国の
健運という。この運を、能という、権能が我輩にある。

ここの、権能という、影の脳のことを、能という、字で表わして
もいる。この能という字は、脳を含んだ能である。
これを、能脳、脳能という、我輩である。

健やかな我輩という。我輩ということを、この脳で、
しゃべっていることの、表れが、影を置いて進む、
という言葉になって出てきたのである。

 これを、堅実国家という。わが国である。
国家、黒夏は、この脳より出てくる話である。
実家という、実夏という。この夏が陰影のある夏
であり、夏の実態を実夏という。

 我輩の家にいる姿である。我輩の実家でもある。
実家に夏が来る話しともなる。

 我が黒夏は、かげの夏を見るという。
陰夏であり、影夏である。このかげを合わせて、
蔭と書く、我輩の蔭の字の一意味でもある。

黒夏の遠因ともいうのである。この遠因の運びという。
夏に灯をともす蛍という。遠因の生(しょう)である。

 生類哀れみの令の影が、陰を持ち、実になっている、
現実の姿である。この解釈が、我が黒夏の法を立てて、
法を運ぶという、立法の話しという。
 立法が、すなわち、蔭である。これを、立法のかげながら、
という。我が国が、影を有している国である。

 法は国を照らす、影が立法である。法のえいいん、という。
栄印である。これを陰影と簡単にいっているのが、黒夏国
である。
 我輩の法解釈である。平隠に言えば、陰(影)の御蔭である、
実の御蔭でもある。法の影夏をふまえて、立法の経過である。

我輩の健脳な脳である。

 かの若いその人は、影を尊ぶ人である。自分の脳を犬脳という。
よくわかっている話である。我輩を尊んでくれる若い人でもある。
立山君のことである。遅れていてよい人である。若い人の先走り
を慎んでいる人である。
 我が黒夏で、陰実ともに備う、影の黒幕でもあり、実の黒幕でもある。

かの君は、影の能の君である。能脳の君である。
遅れが遅れないと喜んで時流を見ている。
黒幕のすることである。

劇を匂わすようなところもある、国家のことである。
会議は踊るという、劇場国家である。
(2012/03/06)

 
posted by 若軍 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説
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