2012年02月26日

国宝 生類

(2012/02/26)
 生類哀れみの令

 これは、誰が作ったか。
誰が、誰のために、誰による作りか。
これが、黒夏国の作りであることは、
かの白夏を祝う、地を知っている
人という。

 我輩のすぐ隣にある、白い猫という。
自分を白猫という、腹に丸い模様の有る
ランチ君である。「ランチ」と言えば、
「ミャウ」と返事をする。彼の地の賢人であるを、
自負する我が友邦である。若い人は、
このランチ君にも、推されている人である
ことは論をまたない。黒幕であるといえば、
「ミャウ」という。彼の地の林間へ涼みに
いくという、その時に、凛とする響きで、
足を見るランチ君である。自分の足の良さを
頗る得意気という。これを、「ミャウ」というて、
林間の響きを伝える。世に、これを唱う、
我が歩きである、というランチ君である。

 自分のことを、怪足という。こう、書い手、足を
見る、駿足を誇る、快猫であるという。

我輩にいうたのである。生類哀れみの令は、
誰が守るかと。我輩は思わず、「ウン」と答えた。
我輩の一言を百言に取る、「ノーいえ」という。

 若い人は、これを「運脳」という。我輩の「わんうん」
である。「みゃうえん」ともいう。これが、かの若い人の
脳である。

生類哀れみの令が、大好きであるという、
かの若い人である。現今の世に、これを大きな
声でいう遅れである。その人という。

その人は、あの令は,今の世に復活しているという。
今の人は心得ているのである。だから、生類哀れみの令
といえば、「うん」と肯くのである。がえんぜるうん、
という、その人である。これが、「みゃうえん」という、
言葉であるという。運脳の話である。
だから、あれは、頭に良い法律であるという解釈をする
人である。具代的に、頭が軽い、と自分を表現する。

その人は、動物が好きな人である。
今に、動物と話をする人が出てくるという
その人である。

「我輩の黒夏国である。世に先んじて、
いだしたのである。今の世に、生きている
法である。
 我輩は江戸という、江戸の御世を褒め讃える
のである。かの、若い人もそうである。
黒夏の枢要はかくあるべきであるという、
立山君である。かの法を配して生きている
その人である。今もそうであるという。
これを感じさせない生類哀れみの令である。
政治の妙である。こういう、我がわんうんという、
うんわん、という我輩である。平仮名で書けば
わかるという話である。我が国の憲法、中書きである。
わんうん法という、配し方である。我が黒夏は、
黒幕がある国という。遅れの腕のはいし、という
憲法の拝し方であるという。配られたのは、
頭に残る、配運の頭である。号外を始めた
国である。我が黒夏である。白刻という、告示を
したのである。今日(運月脳日)が、黒夏国の記念日
である。これを記す国憲である。中書きの注釈である。
我輩の憲法講義である。云々。」

憲法の犬法講義という講義法である、
その人の運脳の中である。
我輩は犬であるという、その人でもある。

posted by 若軍 at 20:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 小説
この記事へのコメント
いつも有難く拝読させて頂いています。 猫の話し 黒夏 次から次へと 筆が走る小林さんの創作力は、出口王仁三郎の霊界物語のようです。
Posted by 小多田嘉宏 at 2012年02月27日 05:08
下手な文を、お読みくださり、真にありがとう
ございます。頑張って仕上げていきます。
Posted by at 2012年03月03日 21:59
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/54167175

この記事へのトラックバック