2012年02月05日

第5章 若い分け

第5章 若い分け
 
「わっけく かくかく わっこん かくはく
 わっこん こんかく わっけく らんかく
 わっけく らんらん わっかん こんけく」


 突如として、その人が言い出した。「自分は葛野(かどの)
人である。」 また、周りはその人を見る。
わっけく、かくはく。その人の心の中に響いた言葉である。
続けて、「弥生時代の葛野人である」と。現在の歴史書には
のっていない。大日本史にでてくる葛野人は、時代が新しい
。「縄文時代の葛野人でもある。」と言い出した。そして、「わっけく
、かくはく」と言った。「それは何だ」「わからない、心に響いてくる。
・・・・・藁のスカートをはいて、踊っている姿かな。」



証明はできると言う。 これは、神武の頃のリズムであるとつけた。
「わっけく、こんらけ。」 これが後に、あの酒池という肉林の楽である。
この肉を「田」という。 鏨の絵という、ゆけの絵という。さめの世を
歌う楽の徒である。この世のケの世という、あたのかという。これが
テのえという。はてのえのケとなる。「てて」の語元(ごもと)という。


これがしょうを取る人と言う。
「わっけく」で手綱をとめる。「こんらけ」と引きをだす。神武天皇の御東
征の世となる。「すめらゆれ」という、ゆれのなか、舟は門出をことほぐ、
手綱の切れである。赤い布(きれ)がその名残と言う。えのみのて、「ほ
て」を「てしょう」と言う。

 わんという、はけと、めと、てるうと言う。「てるう」とは、てだす世に
「てい」という「かてのえと」という。えびのえんの絵という。これが神武の
矢の所以である。後を「かぶらゆ」を経る「かぶ」という。かぶらの絵をくるて、と言う。「かぶのけ」を「め」という、この人の眉にかべたかも、元の
矢にとめた身のエンに、汗が出る。あさのひの絵という。「きょうか」をと
る、てとのえん、「ふのめ」に「てと」となる。「きょうをいず」を、「きょうひく」という。きょうのことをきょうという。

 これを「きょうか」という、えのよの、ぬぬひきとなる。神武の旗となる。
この旗の畑(はた)と、傍(はた)のけかが、「てと」となる。神武の肩とい
う。人頭のえんという。

 川の江となる。「かわ」を「おん」にいう、「かさ」で「いらん」をいう。「か
みのかさ」と「えのよのかわ」と「かてのけ」と「かさべのく」、「ことのえ」と
いう。「わばえと」を「わて」に、わがなる「わのくに」という。これをしょうと
いう「てそのやま」をいう。「わっけく」となる。

 「わたのよ」となる。「わんとめのとりおし」、「ごぶのてのえ」、「へこ」と
なる。この「へこ」を、後、「兵子」と表す、「じょう」がかかる人という。「じょ
うへい」となる。「かぶのかま」をいう。へいしのかまを、「いし」という。い
しのつきと、いしめに、いそをたとえ、十(じゅう)を上(かみ)と書く。

 これを紙とず、ゆれという。「ゆれ」の「ゆ」を「たた」という。「たたゆれ」
となる。あさひきの、あさも、てのよふにたむらのせん、という。せんたの
けけとなる。「ゆみひき」という、「ゆめのえ」という。ゆみをひくてを、てと
いう。

 「てて」のごもうと、「て」の「て」に「て」がなる、「てて」となる。「わっけく
」で、てが出るきみのてを、「きみのよ」という。ききとみの、けて、という
。「かづぬ」を「かどの」という、「おづぬ」の「おと」のは、「はは」をいう。
「かづらぬおづぬ」という。「かづきのえ」という。「かづきゆめのふ」とい
う。  この文を「かづらぬゆ」という。弥生のことを書いた文である。
全文、平仮名の、しだりぶん、という。

 しだきえの絵に出す「えとのこけ」とぬる絵のいろえ、「てて」と「はは」
の、ちはべを「とと」という。「てみや」の「ほとべ」、「ぱっぺ」の「ぺ」が、
のるゆれと、みて、としをとる、人という。「としよ」のえんとなる。「えて」
と「え」と「えか」に、あかべがなる。あかが出る、「てこ」という。

 「てこ」で「出(で)」を出る、「津の出」で、かどを「かど」と「門」と「角」「分
かち出」という。「和歌」の出の手の平を、「平手(ひらで)」という。平手の
絵のゆれ、筆を、ふなで、という。ふね、になる。「ふね」の「ふな」という、
言いが「お」のよる日の目、「え」を「よ」という。

 「えとのよ」になる。「えか」という絵のゆいである。「ふ」という「えふ」である。これを「じんよのゆ」に「じん」を神という。「人」のことを「神」という。「かみのえ」という。
「かみよ」の語元(ごもと)である。神代譜(かみよふ)の世の書き、という。
「川の尾」を「おか」という。「おか」の意になる。「おかわのおか」となる。

「おかわ」という「側(かわ)」と「川」が係る、「おかわのかわ」を、「ち」という。
「地」と書く、「ち」である。人の縁をもつ、「地縁」となる。「地の縁」を、「人
」で表す「てんち」を、天(てん)知る人という。これを「てんちびと」と書く。
「てん」を「て」という、人のやのくり、という。

「やて」という日が来る。「くく」で来る。「くく」という、「く」がなる、「くぜ」と
いう。「くぜ」の語を、「くすのくせ」という。この「せ」を、「せ」という。瀬と
背、という。「せせのぜ」という。

 「せせをとる文」という。「じん」に、「ひと」という、「ひとのよのえ」を、「よのよ」という。
  
  「よよのえ」と「よせ」と「よふ」と「よぜ」の「よ」である。
   ヨヨヨ、ヤヨヨ、ヨヨス、ヤヨス、ヤヨウ、ヤヨイ、

「やようとみ」という。「やよい」の語元(ごげん、語源)である。「やよい」に「や」が、意味を取らず、

 「や」に「かぶ」をとる意味である。分からん書き、である。譜という、「我
が世の譜」と名付(なづ)く。
難の文(なんのぶん)ともいう。何(なん)の文(ぶん)である。

「ふふふのふ」、譜譜譜の譜、ふふへのほ、ふふ、とと、ふる、ふせ、ふく、

ふきゅ、ふぜ、ふつ、ふっ、ふあっぷ、ふ ぃえ、ふ ふふ。
ふてえ書(しょ)である。ふふふふふ。
こんらけ ふふふふ こん。
こんてん ここここ。
こておけ こっと。
こてしゃ こっ。
こてむ こけ。
こっと こく。
こって ぱ。
こって ぱ。
こっと こてこて。
こっと こんけけ。
こって こせおて。
こっと こんけく。
くけくけ こんくく。
ここここ こ。
ここここ こぉ。

ここここ こっ。 この「こ」、三つが、ことの出である。

こっこと出て、とっとと回る。 とっとと出て、こつと止まる。

こつと寄って、こそととる。これをこそどる、取りの書となる。

鳥である。こそ鳥という。こその所以である。

こっそもめもめ、こそめもめ。 こそ引きのゆい。

ゆいゆいゆられて、ゆゆゆもう。
ゆいゆいゆれみて、ゆゆゆまう。
ゆれゆれゆれて、ゆれをもつ。
ゆれゆれゆられて、ゆれみのみ。
ゆられゆら、ゆらゆらゆのえ。
ゆられゆら、ゆられふ。
ゆるゆるゆるる、ゆれゆらふ。
ゆめゆるゆられ、ゆらりゆる。
ゆるゆるゆめみ、ゆめみゆる。
みゆるゆめみの、ゆめみ。    

夢を見る人の心中(こころなか)、こころ夢の、こころ。
こころ濃く、こころ。こころ、うすすむ頃のこころ。
こころゆき。こころえ。こころよきかな。
こころのふ。




 これは分からん弥生のよきのえ。えふみぶみ。えふふむ、えんより、

えふるえふ。ふふふのゆ。
ゆれるゆれみの、ゆれのゆという。
ゆめゆめゆるゆ。ゆめめ めめめ めゆ。
「め」を「の」にいう。 
ゆめの、めのめ、のゆい。 「ゆい」とは、「ゆう」のこと。「言う」のこと。
夢の、目の目、の言い。


ほほのほ、ほほ、ほほへ、ほへ、
ほほほ、ほおぼ、ほおぼの、ほほぼ、
ほへほ、ほのよ、ほのめ、ほのみ、みほほ、
みみ、くちぞ、ゆえゆえ、ゆえのゆ。

ゆみゆみゆめゆ、ゆゆゆ、ややや、よよのや、
ここと、こことおと、ここのよ、とおとき、みみめの、や

「よお」を「や」という。「よ」の古語である。
「やをあげる」を「よあげ」に、「よあけるよお」を
「よあけ」という。「やああけた」人のよの夢の話。
はてをはてるよ、という。はては、てるよに、てらす月、
てらすおひに、よはあけて見る。ひとのえのよのすから。


「え」という、「よ」の意である。「よ」を「え」という。この日。
「日」を「えひ」にいうを、「てひ」とも言う。これを、「日の手」という。
「月の手」ともなる。「日月(じつげつ)の手」と言う。「手の日」「手の月」、
「年世(としよ)の手」、「弓を取る手」という。「日月(じつげつ)の弓引く手」
低く歩む天祖という。天球の雪をとまるえ。天球の雪と名づけた、
霧の間という。あの丸い輪に入る人である。「きりゆま」という、
まままの間(ま)、まもるめ、もゆこす、みばれの天(てん)ゆきの世、
ふむふむ、ままま、ちちはは、ありあり、天地の世、知る日々の余(よ)、
あれあれ、ゆその、そのいく、人。
まめみに、みゆる、ての日、月の世の手、てててぇ。
手と手の合わせ、せせる人、人人(ひとひと)、世余余(よよよ)。


これが、弥生の手である。やようやよいの、手の有為(うい)、
「やよう」は右、
「やよい」はひだのひだめ、手の目の得手という。
ひだを、やよう、やよいの
えみせ、せせせのせ、せせせのて、せせ、
「せせの得手」という。「せせよのめ」、せせ、


さっこの係るせを、てという。せりのごせとなる。せりの書(しょ)である。
この毛清き、気を盛る、せ。清盛という人の御名(おんな)のゆかしき。
平清盛となる。わたしの手という。気を持って、渡る世の淵(えん)。はてを
照る日、月清くありなん。平清盛踏襲致すは上となる人という。
矢はあり得手、弓を引く日は、月を灯す、ひよのへい。平頭(へいとう)と言う。平頭の世渡る、すの世、ありすがの姿見、髪が身の上、日を見るを、むぶという。むふふぶむよよ、やよの明け、ひひの恩、ありすがま、まままのみ、ふふゆれゆ、ゆゆゆ、たつひのたつ、みたつえのよのまのよ、よよあり手、よよ見る、平頭である。たいらのよ、あれをめるひ、若い一の髪、

若一(にゃくいち)という。後に、若一の神となる。葛野の果てという。
若一をかどねる、髪という。これを、かみの字戻した文という。かみもどすひが、ひのひを、戻すひびという。平清盛を祭る人という。わっかんのえんとなる。むむむむむ。

平清盛を祭るワッケクである。わっけく らんこ、である。祭囃子という。
わっけく らんこ、という、拍子と言う。私の拍子である。あと、ケクケクと続く祭りの拍子である。ワッケク ランコ、ケクケクケクケク。私にはそう聞こえる。リズムは、ユックラ スススである。音を、「おん」という、文。私の文。


しののめぶしの、しそうとなる。
しののめ しののめ ししし すみすみ ししし すみししし
これを七分の拍子という。 

ふふふふ ふみふみ ふふふぶみ
ふふふ よやよ たたみみ たんひき
ためため よよよ ビードロの笛となる。

いっきくかくいき ききゆき ききもく たみたみ てておて ててて
ととと てみみ とみみ とて 言いたるもおかし。ぎぎぎのぎ。

紫式部の式部省。今も続いていたらどうなるか。
ど、ど、どうなるどうなる のリズムは、
式部式、式部式、式部式 と聞こえる。
これが、文の字の、リズムという。
リーズムズムズム 書け書け
という。 りい進む書である。
葛野(くずらぬ)のリズムという。

やあよい はたけの みわたせば
やあよい はなあけ みすずもつ
むすめべ ふせて ひひをもる ゆき
さんさしぐれて ははのひと

やあまの みまべと ひとのよに
ひのの うすあけ とるめたるを
ひそめのえめの やませおる
ひそめて ひいめの えせのよに

よおよお こして とめをめて
ひそめて おりなす あやにしに
あやえき おおての ほほのくち
ほほめて おりひき ととのえり

ほめよむ むれよる せせのくご
くくれる よおとの おせこせと
おせおす おしおの おめおれと
おせみば ゆうえる ゆれゆらる
・・・・・・
・・・・・
これを「弥生の歌」という。弥生で歌う音のりである。
弥生時代のえとである。
ええとと えとえと えとととと
えととと えとと えととのふ
えとめと えとめ えののえの
ここえの ここよ ここえのよ

こごゆるひと、という。

これで、

  わけくく わかく わけわかく        
わけわけ ゆゆゆ ゆいゆいゆい
わけゆい わけゆい わけわけわけ
りいすすむ すむ すむすむすむ

分け書く 分け書く 分けを書く
・・・・・
と進んでいく。

この世の住まいのリスムである。
これがその人の頭である。
「かくかく しかじか」であると、答えた人である。
やあよいのわけ、である。
髪の毛を分けながら、考えた話である。
若い分けの髪型である。
  「雄々、斯く書く、詩か字か」                          2010/11/14 (日) 


こんなことを言う人である。何か分からないが、
文が勝手に出てくるという。話も勝手に出てくる。
意味のわからない言葉が、脳をめぐる、その人の
脳である。文や話は切れめがない、そんなことを
言う。頭に流れる話を書くにも、切れ目がないので、
いったん書き始めたら、恐ろしく長くかかる。だから、
書かない。「これもそうか。」 一分である。こんな言葉が
頭の中にとめどなく、流れ、沸いてくる。これが証明である。
「分け書く 分け書く 分けを書く。」 リズムであり、文である。
縄文のリズムである。周りは、抱腹絶倒である。
 話に時はとどまったかのように、周囲をも別世界へ
引き連れていく。

                  2010/11/15 (月) 

側頭脳で書いた文となる。  2011/2/16 (水)付け
posted by 若軍 at 21:27| Comment(0) | 小説
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