2012年02月03日

第20章 ド−ムの家

第20章 ド−ムの家   

同童の思議

 その人の家は、ドームの中にある。
大きなドームで、そこから出て、この丘へ通っている。
そのドームの中にすべてがそろっているという。
 
 家を出ると、直ぐ前に川が流れていて、紅い欄干の
橋がかかっている。その橋を渡り、右手のほうへいくと、
桜が咲いている。
 田んぼがあり、川があり、丘がある。
工場も、集会所も、設備が皆、そろっていて、国会議事堂も
あるという。国の体(てい)をしているという。工場があり、
電車の駅もあり、飛行場もあり、動物も植物も、すべてがある。
リニアカーもあり、郵便配達用の電車も地下、空中に走っている。
電子連絡という。電子が文字を運び、絵を運ぶ。
文具も電子文具である。新聞、本も印刷もされ、家々へ、
電車が走って配達していく。一軒一軒の家の中まで入っていく、
小さな配達用の電車である。

 ある日は、家の前に大きな川がながれていたという、刻一刻と
ドームの風景はかわっていく。その大きな川には、イルカが泳ぎ、
エイのような大きな魚が泳いでいる。空には、飛魚が飛んでいる。
大きな船が浮かび、遊覧潜水艦も停泊している。

 また、ある日、家の前が海になったという。その向こうには、
不二の山が大きく聳えている。その山は段々遠くなっていき、
見えなくなった。見えないほどの遠くに今も聳えている。

 また、ある日、家の前は、小高い丘になったという。
その丘に雪が降ったという。雪は12色の雪で、ある日は、
青い雪が降り、真っ青の山があった。また、真っ赤な山も
あったという。刻々と山の色が変わっていく日もあった。
その人の絵の具は、その雪で作ったものだという。

 幾日かたったある日、今度は、小高い連丘が、家の裏に出来た
という。その丘の上には、記念碑が建っていたという。そこへ毎日、
花を手向けにいったという。その後、どこかへ行った連丘である。

その人の耳には、地鳴りの音が今も残っている。
山が移動する音でもあろうか。
ドームの中の風景は、一時で、がらっと変わる。日が変われば、
もちろんのこと、また、ずうっと長く続く景色もある。
ドームはそんな所である。

 ロボットが挨拶をして、自動車や飛行機、飛行板、飛行盤、
水陸両用の乗り物を操縦している。
ロケットもある。ジェット機も一人用、多人数用とさまざまである。
町には永久機関が動き、自動車も水で走る。その水も、
池を見れば、山のように盛り上がった水もある。
ドームは、そういうところである。人知の限りを尽くしたもので、
文明とはこういうものである。それが実現している現実である。
学校も企業も役所もある。

 ドームは、もう一つの地球のようなものだという。
太陽もあれば、月もある。二つの太陽の日もあれば、
二つ、三つの月の日もある。四季もあれば、朝も晩もある。
ある場所へ行けば、空中に山が浮いているのが見られる。
川は地上から上へ流れ、その先は空中の湖である。
4000戸の家があり、先祖代々ここに住んでいるという。

 言葉も色んな言葉がある。字も幾種類もの字がある。
手話、腕話、器具を使った話もする。

ロボットや動物が楽器を奏で、歌を歌う。電子音楽も流れている。
絵を書くという、文を書くという、ロボットの趣味である。
もちろん、犬猫馬牛等の動物も、絵を書き、字も書く。
ロボットも、動植物も,天職を担っている。
草花も挨拶をし、それぞれの生を愛で、楽しんでいる。
これを人類という。

 世界の文明は、すべて、このドームにあり、ドームから出て
いったものであるという。文明は、後から出来てくるもので、
どこかで見たような光景が、たくさんあるという。
既にドームの中で見ているのである。

 空飛ぶ円盤もあれば、空飛ぶ蜂のような乗り物、トンボのような
乗り物、空飛ぶ絨毯もあるという。プラネタリウム、また、通信網も
絵そのものが送られてくる。もちろん動く絵である。録音機能、
映像を記録するものも、今よりもはるかに優れている。
電気通信の電話もあれば、長波を利用した無線通信器もある。

 家といえば、家毎動いていく。背が高くなって、歩く家もある。
海があり、潜水艦もある。垂直に立つこともできる潜水艦であるという。

 はるか、今の世界を凌ぐ文明が、ドームにはあるという。
その人の空想である。その人の童夢である。こんなことを考える
その人は、今の景色は、もう既に見ているという。どこかで見た
光景が、今の景色である。

 その人は思う。今見ている景色は、もう既に、昔見た景色である。
しかし、現実をよく考えれば、そういうことはない。では、何故、昔
見たことがある景色と、思うのであろうか。これも、二度の人生を
今、生きているからであろうか。結論は出ず、どこかで見た景色
だけを思う、その人である。その人の脳が描く景色かもしれない。

 その人の脳は、二つの思考の流れがある。現実を見るに、
今の考えでみる。それと、この童夢から出てくる思考と、
この二つの流れがある。

 思えば、明治の教育を受けるその人である。また、違った
二つの思考の流れともいうべきものである。

 戦争ということについても、今の教育では、反戦の意見が
出る。その人は、明治の教育を受けている。賛戦ともいう、その人の
意見もある。日露戦争前の軍制華やかなりし頃に思考が至れば、
戦争は是の意見である。あの時は、皆、やろうといったのである。
その人の脳には、この考えが、今もでてくるのである。至って、
普通の脳である。平和憲法下の戦争というのである。
憲法第9条がどうとか、改憲がどうとか、そんなことは、戦争には
関係なく、平和憲法であろうがなかろうが、戦争はいつでもある。
普通の考えである。

 平和憲法であるから、戦争は起きないという。こんな簡単な
ものですか、という。平和憲法であっても戦争は起きるという。
簡単なものですか、という。その人の問いでもある。

 良い悪いではなく、戦争はある。憲法を越えて、戦争はある。
憲法上の話ではない。その人は、そんなことも考える人である。
                     (2012/02/01-2012/02/02) 
 その人は「日日」と、日の字を二つ並べて一字のように、
ノートに書いた。横から、友が覗き込んで、笑ってみている。
「どう読むか」と友が尋ねた。「この字はない」と答えた
その人である。「日を三つ書く字ならある」とつけた。
 次に月を二つ並べて書いた。「どう読むか」と友が尋ねた。
「とも」とその人は答えた。「月三つの字はない」とつけた。
 その人は月三つを、晶の字のように書いた。また、
横に、並べて、一字のように書いた。その人のノートには、
ない字がところどころに書かれている。
 その人は考える。これは、月の象形文字である、また、
日の象形文字である。天に月が三つあり、日が二つある。
これを表わしていると、考える。その人の童夢の空想の
具現を文字で表わしたものである。
 その人は、友の前で、また書いたのである。
「m」を続けて幾つもかいたのである。「それは何だ」と
尋ねられ、「アルファラン」と答えた。
また、「V」を幾つも並べて書いた、「光が飛んでいく
経路である」という。友は、笑ってみている。
その人の絵であり、その人の字である。
「四」の字を立てて書いて、二つを並べて見ている。
ギリシァ文字のアルファを書きその横に、「光」を
書いた。アルファ偏の光という。また、「A」を、
横にして、冠にし、下に「小」と書いた。
その人の字である。
 ある時は、「大」の字に、下に点を四つつけたり、
「AA」と下につけたりした。
 その人の、ノートには、勝手に書かれるのである。
その人の考えを越えて、そんな字が書かれている。
                       
 大事にノートを持つその人である。自分はそんな字
が好きであるという。字を拝んで書いた幼少期の
その人である。             (20120205)
posted by 若軍 at 08:51| Comment(0) | 小説
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